絶世の美女の自覚なき悪意。「黒のヘレネー」1979年
あらすじ
絶世の美女ヘレネー。彼女はいつでも美しく、素直で、微笑みを絶やさず、誰にでも優しく、そして誰からも愛された。
しかし彼女の美しさは知らず知らず周りを不幸へと導いていった…。
「その女のまわりは禍々しい黒いものでいっぱいだ!」
この話すごい好き。ギリシャ神話のトロイア戦争という題材をここまで「いるいるこういう人!」と思わせるリアルな人間の物語へと変貌させる才能がすごいです山岸先生。
家にいても外に出ても賞賛の嵐を浴びるヘレネー。でも生まれつき美しく素直だったヘレネーにとってはそれが当たり前。誰に褒められても別に今さら嬉しくありません。
そんなヘレネーが唯一苦手とするのは姉のクリュタイムネストラ。不美人な上に陰気で、おまけにひねくれ者。だから家族からも冷たくあしらわれる。そしてなぜかいつもヘレネーを恨みがましい目で見るのです。
ヘレネーのように姿形が美しければだれからも愛される。
ならば素直でいることも簡単なもの。
誰からも愛されず、醜いと後ろ指さされるからこそ
ひねくれもするし、意地悪くもなるのに。
ヘレネーはいつも退屈。何をやっても美人だし愛されるし。素敵な男性・メネラーオスと結婚したら楽しくなるかと思ったけどやっぱりすぐつまらなくなったので、ギリシャの金銀財宝を持ってトロイアの王子パリスと駆け落ちしちゃいました☆旦那もきっとわかってくれるよね☆
妻を取られたメネラーオス王は当然怒り狂い、トロイア戦争を起こしました。
パリスは死に、トロイアもギリシャもいっぱい人が死にました。またヘレネーは退屈な日々に戻りました。でもまだ若く美しい自分に誰かが楽しいことを与えてくれると信じています。
読む側からすると「わざとやってんだろおまえ」と言いたくなるような「無自覚の悪」のかたまりであるヘレネー。ヘレネーのせいで起きた戦争でクリュタイムネストラの幼い娘が生け贄にされたという話を聞いても優しく同情するだけ。
「まあ…なんと言っていいの。運が悪かったのですねえ。お気の毒だわ。
あなたはいつも運がお悪い。いつもご同情しておりましたの」
あんたのせいあんたのせい!
「わ、わたしがなにをしたというの!!」
「おまえは身も心も真黒な女なのだ! これ以上生きていてはいけない!」
ヘレネーからすれば「同情してあげたのに何故?」という気持ち。無自覚。 ヘレネーはキレたクリュタイムネストラにぶっ刺されます。
いやいや! あたしがこんな気違いの手にかかって死ぬなんて
死ぬなんてうそ!
あたしにはもっと晴れやかな人生が 続くはず……
周りからは「素直で優しくて無欲だ」と言われるヘレネーの「黒さ」に気づく人と気づかない人の違いは何なんだろう? 戦後の会話からしてメネラーオスは薄々気づいてる気がする。『ドリーム』の丹穂生さんの性質も旦那さんだけは気づいてたしね…。
私はこのヘレネーという女、萩尾望都の『メッシュ』に出てくるポーラというキャラを思い出しました。「姉妹が比較される話」の「愛される美人なお姉さん」の方なんですが、愛想良くて優しくて誰からも好かれる美人、人の言うことはすべて聞き流し忘れ、うっかり人殺しても全然気づかないで「お気の毒だわ」とか言ってニコニコしてるというすごいキャラでした(萩尾先生のお姉さんがモデルという噂あり)。
収録コミックス
- スピンクス(花とゆめコミックス)(白泉社)
- 山岸凉子作品集〈9〉傑作集3 黒のヘレネー(白泉社)
- 山岸凉子全集〈31〉黒のヘレネー(あすかコミックス・スペシャル)(角川書店)
- 山岸凉子スペシャルセレクション〈8〉二日月(潮出版社)