山岸凉子漫画感想ブログ

山岸凉子先生の漫画作品の感想を書いていきます。普通にネタバレしてますのでご注意ください。

死んだ後こんなだったらすげーやだ。「化野の…」1982年

あらすじ

」は会社帰りに道に迷ってしまった。歩けども歩けども知っている道に出ない。
早く家に帰りたいのに、いつまで経っても家に辿り着かない…。


早く家に帰らなくちゃ……

主人公(多分本当はもう死んでる?)が延々彷徨い歩くだけのお話。
知らない道。知らない人。思い出せない自分の家。つじつまの合わない記憶。なんか夢に見そうな雰囲気です。心なしか「病院」と「墓場」のイメージが多い。
いつの間にか墓地に向かっていた主人公と出会った中学生の少女の「お姉さんの行くのはあっちでしょ」という時の目が怖い!

あっちから先は墓地しかないっていってたけれど
あの中学生はあっちからやってきたのよね?

次に出会う、何もないところで拝むおばさんも不気味です。目に見えない栗饅頭。
「どうしてそんなに赤いリボンをまいてるの。 小さな子でもあるまいし滑稽だよ。
ほら、足首にまいてるじゃないか。首にも」

この台詞が何を表してるのかいまいちわからないですがとりあえず怖いです。そのあとの「河を渡る」はわかる。

「早くこのストーブの上にのぼって」
「この真っ赤に燃えてるストーブの上に!?」
「でなくちゃ向こうに行けないんだよ。 みんなのぼったんだよ。そのスリッパにはきかえてね」

「スリッパで石油ストーブの上に登る(越える?)」のが死の儀式ということかな? 成人儀式なら炎の上を飛び越えるとか聞いたことあるけども…。
「燃えさかるだるまストーブ」は『顔の石』にも出てきましたが、あれも死の象徴だったんでしょうか? 今回の感想?マークだらけ。

このお話は同じく死後の女が町を歩く『ある夜に』と似てますが、向こうは自分の死に気づいてました。
気づかない「私」は無意識のうちに「死」を否定し、いつまでも夜の町を彷徨い続ける、ということか。こんな目に遭うほどのことを、この女性はしたのか?

収録コミックス

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