山岸凉子漫画感想ブログ

山岸凉子先生の漫画作品の感想を書いていきます。普通にネタバレしてますのでご注意ください。

逃げ続けた男の歪んだ自己愛。「負の暗示」1991年

あらすじ

昭和13年。一人の男が一晩のうちに村の住民たちを30人惨殺するという陰惨な事件を起こした。
そのまま自殺した犯人は、これといって極悪人でも精神異常でもない平凡な22歳の青年・土井春雄だった。
彼はなぜこのような事件を起こすに至ったのか。


この僕が並以下…。澄子も僕が丙種なのでばかにしている。
澄子…みゆき。女にここまでバカにされていいのか。
たかが女に、その女に…この僕が…。

昭和13年に実際に起きた日本史上前代未聞の大量殺人事件・津山三十人殺しが元になってます。『八つ墓村』の元ネタにもなった事件です(ちなみにこの事件、調べていくとフリーセックスっぷりと「寺井」性の多さに困惑すること間違いなしである)。

斧、刀、銃などを使い、祖母を皮切りに1時間半で30人を殺害。犯人の春雄(都井睦雄)は、どのような人物だったのか。どういった環境で育ったのか? 犯罪心理とか好きなので面白かったです。山岸先生の社会系マンガの中でも大作です。

子供の頃は優等生だった春雄。でもお金がなくて進学できなかったり、畑仕事がたるくて病気を言い訳にさぼったり、コツコツ勉強できなくなったり、いつの間にかニートになったり、肺病を嫌われたり、女と遊んで現実逃避してみたり、ちょっとしたことが春雄を破滅へと導いていった。
春雄の心理状態は、身も蓋もない言い方をすれば「自己愛性パーソナリティ障害」かなぁ。身近にもいましたが、春雄とそっくりでした。正しい自己愛が育たず、常に周囲からの賛美がないと生きていけない。尊大な態度と上から目線な物言い。理想と現実のギャップに苦しみ、プライドが傷つくとすぐキレる…。心当たりのある方は一刻も早く心療内科を受診してください。

祖母に溺愛され、優しい姉にかしづかれて、
春雄はいつのまにか、世の中は自分を中心に回っているという感が強くなっていた。
この、何事につけても自分が1番であるべきと思う全能感は
傷つけられた時、ひどく不安なものに変貌する。
しかし本来、この子供っぽい全能感は、成長の過程で打ち破られていくものなのである。

しかし、春雄は奇跡的に全能感を打ち破られないまま大人になってしまった!
貧乏より病気より何より、これが本当は春雄にとっての一番の不幸じゃないだろうか。おばあちゃんにも責任だいぶあるよね…。

そんな「僕が一番偉い」という肥大しきったプライドを持った春雄にも、現実は容赦なく襲いかかります。
いつの間にかさっぱりついて行けなくなった勉強。畑仕事しないから男たちから仲間はずれ。手当たり次第に女に手を出し嫌われ。そしてとどめは徴兵検査の結果が「丙種」。軍国主義まっしぐらのこの時代でこの レッテルは、春雄を村八分にするのに充分な理由でした。
「優秀な男であるはずの僕」は村の男からも女からも忌み嫌われ、肉体関係のあったみゆきにもこっぴどく振られ「隆のほうがヨかった」とか言われてしまい、初恋の人妻・澄子さんにも「これくらい言わないとわかんないんだから」と同じくこっぴどく捨てられてしまいます。
※自己愛の人は本当に何でも自分の都合の良いように取るため、厳しめの言葉ではっきり言った澄子は間違ってない。

本来甲種でもおかしくない優秀な人間であるこの僕が、こんなにも虚仮にされて…!
それに丙種は僕の責任じゃない。そうとも、すべて僕の責任じゃない。
いつも周りの人間が僕を悪い方へ悪い方へと導いてゆく…あいつら女共。
あいつらに思い知らせてやる。
その土井春雄が一角の男だったということを、あいつらに嫌というほど思い知らせてやる。

なぜ「ぶっ殺す」が「一角の男だったということを思い知らせる」になるのかわからないよ!
 村でのいじめも原因ではあるけど、春雄のこういう謎の思考回路が大量殺人を起こさせた。
そんなこんなで春雄は神戸まで殺戮用武器を買いに行きます。そのまま村を出て別の場所で人生再スタートすればいいのにと思うけど、この時代の人ってよほどのことがない限り引っ越さないんだよね。

春雄が女との現実逃避にのめり込むきっかけとなった年上の人妻・澄子さん。これが決して性格の良い人ではないのですが、常に自分の利益だけを考えて生きる澄子さんは、なぜか見ていて小気味良いというか、事件の寸前に「沈む船からいち早く逃げる鼠のように」京都へ引っ越す要領の良さとか、悪女っぽくていいかんじです。
そして春雄が2番目に恨んでたみゆきも逃げおおせて軽症で済むという悪運の強さ。この二人、やな女なんですけど、実はけっこう嫌いじゃないです。山岸先生が描くと『月読』の天照さんみたいな、悪くてずるくて強い、妙な魅力を感じる。
この二人を逃がしたのは本物の春雄(睦雄)も遺書で悔しがってます。「うつべきをうたずうたいでもよいものをうった」

そして深夜。村中の電気を停電させた春雄。あとはただ、阿鼻叫喚地獄。春雄が「祟りじゃー!」でおなじみの例の格好で恨みのある村人を殺しまくります。
有名なエピソードである「おまえは僕の悪口を言わなかったから撃たない」「あっちゃんちはここか。紙と鉛筆を借してくれ」のシーンも出てきます。
大量殺人・無差別殺人について調べていたら、「死にたいけど一人では死ねないから、なるべく多くの他人を巻き込む」とか「孤独な人間にとっては『殺す』が最後にできる世界とのコミュニケーション」とか出てきて、なんか悲しくなりました。
「真に恐ろしいのは、弱さを攻撃に変えた人間」by荒木飛呂彦

収録コミックス

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