山岸凉子漫画感想ブログ

山岸凉子先生の漫画作品の感想を書いていきます。普通にネタバレしてますのでご注意ください。

そして少女は神になってしまった。「時じくの香の木の実」1985年

あらすじ

正妻の娘・日向、妾の娘・日影
ほぼ同時に8歳になった二人は、巫女である大叔母の屋敷に連れてこられ、どちらが跡継ぎとなるかが試される。差し出されたのは奇妙な果実…。


「それを食べるのです。それを食べるとおまえ達のどちらかが
永遠に年を取らない者になります」

日向、日影のこと嫌いすぎない?
少女主人公なのにナチュラルに性格悪いのが珍しい。この「日向」と「日影」という呼び名は出生と容貌からそう呼ばれてるだけど本名ではないらしい。
私が最初に読んだ山岸漫画がこれで、当時小学生だった私は「美しいお着物を着た対照的な姉妹」と「謎の巫女制度が存在する一族」という厨二っぽさに惹かれて日向の絵を描きまくってました。

二人は巫女になるための奇妙な果実を食べ倒れたが、聴覚と引き換えに巫女になったのは日向だった。この「聴覚を失った」って設定うっまいなー。そのせいで本人だけ事実に気づかないし、読者にも日向目線の情報しか入ってこない。そしてこの全体を満たす静寂が特殊な一族の雰囲気を出している。

それからの日向は急に予言ができるようになり、巫女として一族の頂点に君臨! しかも不老不死になっていつまでもかわいらしい少女のまま! 有頂天! 大威張り! 調子に乗っていた日向だが、なぜか敗北したはずの日影がいつまでも家にいるのでにイラつく。

「どうしてあなたがここにいるのよ。
大伯母さまの跡を継いだのはあたしなのよ! だから出ていったら!!」
わたしの激しい叱責にもかかわらず姉はだるそうな瞳をこちらへむけるだけです。

「巫女になれなかったはずの」日影はなぜか日向の近くにい続け、困惑の表情で日向を見る。
父と兄は日向の機嫌を取ろうと供物をお供えしまくる。日向が「ケーキや宇治金時が欲しい」と言ってまるで聞こえていないかのように、日向の嗜好に関係なくお供え物は増え続けるのだった…。
日向と日影の憧れの的(といっても血の繋がった長兄)のイケメン兄さんは乙女心が少しはわかるらしく、かわいい市松人形や綺麗な反物をお供えしてくれます。

日影に初潮が訪れて以来、日影の生理中は日向はなぜか声が出せず部屋から一歩も出れなくなってしまう。
生理ですらこんななのに、成長した日影が自慰をするようになると、日向は声が出なくなり体が痺れ、廊下も腐り落ちるようになる…。妹に自慰シーンを覗かれる日影のプライバシーとは。そして日向はその謎システムにもう少し疑問を持とうよ!

いつまでも我儘な子供のままの日向、女として成熟した体を持てあます日影。
醜く肉のついた大人の女の体を持つ日影はある日、長兄と関係を持ってしまう。
相変わらず人のプライバシーを覗き見していた日向は嫉妬し激怒しながら二人の間に割り込もうとするが、二人はお構いなしに続けている! そこで日向は気づいてしまう。

わたしには身体が無い!!

日向は、あの果実を口にした時に死んでいた。

実際の巫女はわたしではなく姉だった。しかしこれは決して敗北ではありません。
なぜなら姉はただわたしが告げる事をただ口うつしに伝えるだけなのですから。
いわばわたしは“神”になったのだから。
それなのにこの打ちのめされた思いはどこからくるのでしょう。
わたしが愛してやまない長兄と現実に肌を合わせた姉に?
年を取るという凡愚な身体に?

日影は巫女だからずっと処女でないといけないのに、実のお兄さんとやっちゃったので追い出されてしまいました。日影の一生って何だったんだろうね。
日影目線で言うと、変な果実食べて死にかけて、さっきまで妹だったはずの子が「神」になってる(しかも不機嫌)わけでしょ。
話がずっと日向目線だから何があったのかわからないけど、母親が違うとはいえ実のお兄ちゃん(既婚)とセックスするとかどういう精神状態?
…でもここんち奇子』の天外一族っぽさあるからよくあることだったりして…。日向も実の兄を好きだったし。

日向は担当巫女が処女でなくなったので、話も身動きもできなくなってしまいました。次の巫女が現れるまでずっとこのまま…。
自分の自由が大嫌いな姉の行動によって左右されてしまうというのはプライドの高い日向にはきつそう。

日本の古い言い伝えで「死んだ子供がその家の福の神になる」というものがあります。一昔前までは、豪家や旧家では死んだ子の霊を手厚くもてなして、家の一画に子供部屋を作って食事や玩具も供えるという風習がありました。「古い屋敷を取り壊す作業中、ドアのついてない座敷牢のような子供部屋が出てきた」という話もありました。その子がいる限りその家は安泰するという、いわゆる「座敷童」です。
日向は「意図的に作り出された座敷童」だったのではないか?

あと、座敷童には「体(魂の器)」として「人形」を与えることがあります。日向が自分がもらったと思って喜んでる(最後のページでも抱いてる)市松人形は、もしかしたらそれ用だったのかも知れません…。

収録コミックス

[山岸凉子漫画感想ブログ]は、Amazon.co.jpを宣伝しリンクすることによってサイトが紹介料を獲得できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイトプログラムである、Amazonアソシエイト・プログラムの参加者です。