山岸凉子漫画感想ブログ

山岸凉子先生の漫画作品の感想を書いていきます。普通にネタバレしてますのでご注意ください。

男を狂わせる美幼女は蛇神なのか、それとも。「蛇比礼」1985年

あらすじ

高校生の達也の家に、孤児となった従妹の美少女・相馬虹子(にじこ)が引き取られて来た。
しかし、気のふれた父に育てられた虹子は、その異常なまでの妖艶さで周囲の男たちを狂わせていく。


カジュアルな服を着た虹子のガッカリ感。
同じく魔性のロリータの『星の素白き花束の…』の夏夜ちゃんよりさらに7歳も若い、8歳の虹子ちゃんの妖しさがやばすぎる短編です。虹子ちゃんほんとに小学校行ってんの!? ドッジボールとか雑巾がけとかやってんの!?

黒い着物に切れ長の一重、妙に大人びた口調の妖艶な少女(ただし主食は生卵)・虹子が現れてからというもの、従兄の男子高校生・達也は淫猥な蛇に呑まれる夢ばかり見る。
真っ白でヒンヤリ冷たく、スベスベした長いもの…それを虹子の細い体と重ね、徐々に虹子をまともな目で見られなくなっていく達也。
虹子の、熱いお風呂を嫌がる、食事を取らない、生卵を大量に飲むなどの異常な点も気にはなったが、達也がそれ以上に気になるのは、母の恋人の平山がいやに虹子になれなれしいことであった。そして…。

「大好き達也さん。平山さんよりもパパよりも」
パパ? こんな事を自分の父親ともやったのか

虹子の両親は「ある思想(蛇神信仰か?)」で結ばれ、母は酷寒の地で異常分娩し死亡。虹子は気のふれた父に育てられた。
虹子は「男を狂わせる蛇神」なのか。それとも、「気のふれた父親に洗脳され、蛇神に仕立て上げられた子供」なのか。
どちらとも取れる描き方をされてますが、後者だと思うとめっちゃ鬱ですね。
虹子ちゃんは同じようなロリータ居候話『星の素白き~』の夏夜ちゃんよりもさらに人間らしくないので、いっそ男を餌にするガチの蛇の化身であって欲しい…。ウロコも生えてて欲しい…。でないとかわいそすぎる…。

この話には二人の「虹子に負けた女」が出てきます。
一人目は達也の同級生のガールフレンド、酒井真弓ちゃんです。最初は達也にラブホに誘われてこっぴどく振ったりしてたのに、達也が虹子に夢中になってからは一気にどうでもいい女に。最終的に「あたし決心したの。あなたのいいようにして」とまで言ったのにガン無視されました。
二人目は達也ママです。職場のイケメン・平山と付き合ってたのに姪っ子に取られてしまいます。常識的に考えて浮気相手が8歳児とは思わないよね。あと平山の行動力は何なの。おまえ達也と違って大人なんだからもうちょっと自己抑制しろよ。

最後の方の、虹子との情事に明け暮れてゲッソリしてる達也が、昭和の「自涜ガ青少年ニ与エル悪影響ノ図」みたいでちょっと笑いました。やりすぎはよくない。

収録コミックス

蘇我くんのもうれつ受験校改造計画。「メタモルフォシス伝」 1976年

あらすじ

都内の某受験校にある日転校してきた不思議な少年蘇我
毎日勉強勉強でピリピリしている学校で、それぞれに問題を抱える久美新田小山大田原
蘇我はその不思議な力で、彼らを、学校を、少しずつ変えていく。
全国の高校(ハイスクール)の受験生よ! 転身(メタモルフォシス)せよ!!


「歳をとりたいとは思わないけれど、試験や宿題のない歳になりたいなあ」
「答を求められたなら、それに答えるよう万全を期さなくちゃならないのさ」
「入ってから考えます。今はただ勉強するのみです」
「こっちは花嫁の持参金代わりに大学行くんじゃないんだからな」
「ねえあなた、こわくないの。今この2時間にも他の連中はせっせと勉強してんのよ」

不思議な能力を持ったあっかるい謎の少年・蘇我要を狂言回しに、日本の受験のあり方や学校教育制度に対して疑問を呈する、短気連載作品。
厳しい受験・テスト・宿題に心の底では疑問を抱きつつも、目の前の受験を突破するために朝も夜も勉強せざるを得ない登場人物たちの問題を蘇我くんが解決していきます。

久美:自他ともに認める劣等生だけど、人間的感覚は多分一番まとも。本来文系なのに親の期待に反発できず理系を選択。
新田:クールな優等生だけど家庭に問題を抱える。テストのあり方がおかしいのに気づきつつ好成績を収めるバランス派?
小山:本当は音楽が好きなのに、周りの呪文に流されるままにぼんやりT大受験を目標に据える。しっかりしろ。
大田原:典型的な学歴至上主義で嫌われ者のガリ勉眼鏡。しぬな。
紅子:新田と同じく、割り切って自分の目標のために勉強に励む。唯一、最初と最後でそんなに変化なし。
冒頭ではこんな感じのみんなですが、蘇我くんの活躍で徐々に変わっていきます。

私が感情移入するキャラはやっぱり劣等生の久美(クネ)です。
他の山岸作品にもよく出てくる「気弱で自分に自信が持てない、抑圧された少女」で、元々文系なのに親に反抗できず苦手な理系を選択し続け苦しむ。
文学や美術や音楽や美しい風景なんかに感動する豊かな感受性を持っているのに、自分の意見をハッキリと言えず、周りに流され、よりによって自分の長所を全然 生かせない医学部に進学すべく頑張っちゃう(でも劣等生)という、すごい辛そう&もったいない子だったのですが、蘇我くんのおかげで変わります。がんばれ。
勇気を出して数学・物理の講習を受けなかった久美が、学校を散歩して蘇我と会話するシーンが好きです。

こうしてひとまわりしてみると、学校もいいところなのねえ。
あのドングリの幹の影もステキだし、花壇だって。
今までぜんぜん気づかなかった。(中略)なんだか泣けてきちゃう。
あたしってバカみたい。こんなことに気がつく心のゆとりもなかったなんて。
あたしって学校には勉強以外、なあんにもないって思ってた。
今、あたし16歳…。もうすぐ17歳になっちまう。
二度とこない16歳に、勉強だけしか見つめてなかったなんて! あたし泣けちゃう。

「見てごらん。あの暗くて暑い教室でみんなのやってること。
きっと、きみの今の気持ちに気がついていない人もいっぱいいるんだよ。
もしくはわかってても、頭の中だけで……かな。
今のきみのように泣けるほどそのことに気がついてる人は少ないよ、きっと。
ずっと大人になってから、くやしい思いをしながら気がつくんだ。
今気がついたきみはしあわせだね」

「不思議ねえ。あなたって… ずいぶん人の心を理解してくれるのねえ。乙女の感傷って言っただけなのに」
「こういうことを理解することを教室では教えてくれないよね。
あそこでは点数をより多く取る人間が頭がよくて値打ちがあるんだ。
それが間違ってるとは言いきらないけど、ただ、人間、それだけじゃないよね」

「ええ!」

でもこの後、久美がこの素敵な会話を親友の紅子に話したら紅子は「それは逃避よ」とバッサリ。
この紅子って子が何気にくせ者で、この作品の中で唯一あんまり成長(変化)のないキャラです。変わるほど元々問題のあるキャラじゃないといえばそうなんですが、なんかこう、実際の学生の中にいそうな絶妙にリアルなキャラクターなんですよね。
目標のために勉強は頑張るし、成績も良い。受験に意味があるのかはわからない。今はただ、目の前の受験を突破するだけ。
受験への疑問や、ましてやそれを変えるなんて大層なことは未来の人々にお任せします。
今この受験戦争まっただ中に疑問を呈するなんてのは逃避・敗北でしかないわ。と、こういった論調でいつも久美の発言や久美が気づいた感動を悪気なく否定したりします。
久美も、クールかつ理路整然とした紅子の言い分に上手く反論できずに口ごもってしまう。
だがそもそも久美と紅子は真に意思の疎通ができているのか? こいつらなんで親友なんだろう…。
まあとにかく、久美がんばったよね。

私、医学部へ行くのとは違う形で親孝行しますから…。
久美みたいな真面目な子は親のために何かしようと思いすぎない方がいいと思うよ。(私は久美ちゃんの岡村響子化を心配しています)

あとは小山が多少しっかりしたり、大田原の勉強ノイローゼを蘇我が何とかしたり。新田の心の闇を何とかしたり(なげやり)。
蘇我の暗躍のおかげで新田がお兄さんに少し優しくなるとこ好きです。あのお兄さんそんなに悪くないよね。
もうれつ受験校改造計画、最後のシメは学校祭。
最も難関と思われた「教師陣の懐柔」はまさかの麻雀でした。
あ、先ほど「紅子はあまり変化がない」と書きましたが、紅子は麻雀ができるようになりました。

「ぼくはこれからもずーっと、きみたちといっしょだよ。一生」

収録コミックス

逃げ続けた男の歪んだ自己愛。「負の暗示」1991年

あらすじ

昭和13年。一人の男が一晩のうちに村の住民たちを30人惨殺するという陰惨な事件を起こした。
そのまま自殺した犯人は、これといって極悪人でも精神異常でもない平凡な22歳の青年・土井春雄だった。
彼はなぜこのような事件を起こすに至ったのか。


この僕が並以下…。澄子も僕が丙種なのでばかにしている。
澄子…みゆき。女にここまでバカにされていいのか。
たかが女に、その女に…この僕が…。

昭和13年に実際に起きた日本史上前代未聞の大量殺人事件・津山三十人殺しが元になってます。『八つ墓村』の元ネタにもなった事件です(ちなみにこの事件、調べていくとフリーセックスっぷりと「寺井」性の多さに困惑すること間違いなしである)。

斧、刀、銃などを使い、祖母を皮切りに1時間半で30人を殺害。犯人の春雄(都井睦雄)は、どのような人物だったのか。どういった環境で育ったのか? 犯罪心理とか好きなので面白かったです。山岸先生の社会系マンガの中でも大作です。

子供の頃は優等生だった春雄。でもお金がなくて進学できなかったり、畑仕事がたるくて病気を言い訳にさぼったり、コツコツ勉強できなくなったり、いつの間にかニートになったり、肺病を嫌われたり、女と遊んで現実逃避してみたり、ちょっとしたことが春雄を破滅へと導いていった。
春雄の心理状態は、身も蓋もない言い方をすれば「自己愛性パーソナリティ障害」かなぁ。身近にもいましたが、春雄とそっくりでした。正しい自己愛が育たず、常に周囲からの賛美がないと生きていけない。尊大な態度と上から目線な物言い。理想と現実のギャップに苦しみ、プライドが傷つくとすぐキレる…。心当たりのある方は一刻も早く心療内科を受診してください。

祖母に溺愛され、優しい姉にかしづかれて、
春雄はいつのまにか、世の中は自分を中心に回っているという感が強くなっていた。
この、何事につけても自分が1番であるべきと思う全能感は
傷つけられた時、ひどく不安なものに変貌する。
しかし本来、この子供っぽい全能感は、成長の過程で打ち破られていくものなのである。

しかし、春雄は奇跡的に全能感を打ち破られないまま大人になってしまった!
貧乏より病気より何より、これが本当は春雄にとっての一番の不幸じゃないだろうか。おばあちゃんにも責任だいぶあるよね…。

そんな「僕が一番偉い」という肥大しきったプライドを持った春雄にも、現実は容赦なく襲いかかります。
いつの間にかさっぱりついて行けなくなった勉強。畑仕事しないから男たちから仲間はずれ。手当たり次第に女に手を出し嫌われ。そしてとどめは徴兵検査の結果が「丙種」。軍国主義まっしぐらのこの時代でこの レッテルは、春雄を村八分にするのに充分な理由でした。
「優秀な男であるはずの僕」は村の男からも女からも忌み嫌われ、肉体関係のあったみゆきにもこっぴどく振られ「隆のほうがヨかった」とか言われてしまい、初恋の人妻・澄子さんにも「これくらい言わないとわかんないんだから」と同じくこっぴどく捨てられてしまいます。
※自己愛の人は本当に何でも自分の都合の良いように取るため、厳しめの言葉ではっきり言った澄子は間違ってない。

本来甲種でもおかしくない優秀な人間であるこの僕が、こんなにも虚仮にされて…!
それに丙種は僕の責任じゃない。そうとも、すべて僕の責任じゃない。
いつも周りの人間が僕を悪い方へ悪い方へと導いてゆく…あいつら女共。
あいつらに思い知らせてやる。
その土井春雄が一角の男だったということを、あいつらに嫌というほど思い知らせてやる。

なぜ「ぶっ殺す」が「一角の男だったということを思い知らせる」になるのかわからないよ!
 村でのいじめも原因ではあるけど、春雄のこういう謎の思考回路が大量殺人を起こさせた。
そんなこんなで春雄は神戸まで殺戮用武器を買いに行きます。そのまま村を出て別の場所で人生再スタートすればいいのにと思うけど、この時代の人ってよほどのことがない限り引っ越さないんだよね。

春雄が女との現実逃避にのめり込むきっかけとなった年上の人妻・澄子さん。これが決して性格の良い人ではないのですが、常に自分の利益だけを考えて生きる澄子さんは、なぜか見ていて小気味良いというか、事件の寸前に「沈む船からいち早く逃げる鼠のように」京都へ引っ越す要領の良さとか、悪女っぽくていいかんじです。
そして春雄が2番目に恨んでたみゆきも逃げおおせて軽症で済むという悪運の強さ。この二人、やな女なんですけど、実はけっこう嫌いじゃないです。山岸先生が描くと『月読』の天照さんみたいな、悪くてずるくて強い、妙な魅力を感じる。
この二人を逃がしたのは本物の春雄(睦雄)も遺書で悔しがってます。「うつべきをうたずうたいでもよいものをうった」

そして深夜。村中の電気を停電させた春雄。あとはただ、阿鼻叫喚地獄。春雄が「祟りじゃー!」でおなじみの例の格好で恨みのある村人を殺しまくります。
有名なエピソードである「おまえは僕の悪口を言わなかったから撃たない」「あっちゃんちはここか。紙と鉛筆を借してくれ」のシーンも出てきます。
大量殺人・無差別殺人について調べていたら、「死にたいけど一人では死ねないから、なるべく多くの他人を巻き込む」とか「孤独な人間にとっては『殺す』が最後にできる世界とのコミュニケーション」とか出てきて、なんか悲しくなりました。
「真に恐ろしいのは、弱さを攻撃に変えた人間」by荒木飛呂彦

収録コミックス

人間の意識を保ったまま動物になるって普通に恐怖だよね。「キルケー」1979年

あらすじ

中学生の奈津子、広、隆、進、小学生の道子。5人は山でのハイキングの帰り、バスに乗り損ね、山中を彷徨っていた。
日も暮れ弱気になっていた頃、5人は山の奥に家の灯りを見つけ、助けを求める。
その館に住んでいたのは大量の動物たちを飼う、妖艶な美女だった。


偏食が命を救うこともある。
神話上の魔女「キルケー」を題材とした、比較的シンプルなホラー。元ネタはギリシャ神話なのに着物姿に切れ長目のキルケーが新鮮。山岸先生は着物描くのが好きだな。
仲良し5人組の中で一人だけ性格悪い子がいたので、「この子が最初の犠牲者なんだろうなぁ」と思ったら案の定だよ!
キルケーさんの能力(?)は「人間を動物に変身させる」という、どこにでも出てきそうな単純なものなのですが、「人間の意識を保ったまま動物になる」ってよく考えたらすごくイヤだよなぁ…。

主人公の奈津子一人だけ、好き嫌いが多いおかげで助かります。すでに動物に変えられてしまった仲間たちが奈津子に寄ってきて、(逃げろ、逃げろ)と必死で示しますが、奈津子は無視してしまいます。

「逃げろ クェ 逃げろ」
「さっきのあの声、なんだか広くんの声に似ていた」

なぜしゃべれる動物(オウム)を採用したのか。
5人が館を見つけた時に吠えまくってた「番犬」たちも、恐らく犠牲者(元人間)。最初5人を逃がしてやりたい一心で吠えてくれてたのかと思うと切ない。『ねむれる森の…』でも書きましたが、言葉が通じない・意思の疎通ができない系は個人的にはかなりの恐怖です。ジョジョ5部のトーキングヘッズとかすげーヤだったな〜。

「おまえ、ココアを飲まなかったのね。飲まなかったのね」

キルケーさんは魔女(?)なのに魔術とかじゃなくて、ポタージュとかココアとか何か飲ませないと動物にできないのー?と思ったんですが、元ネタも同じでした。
ところで誰もつっこんでないけど、キルケーさん場面によって身長でかすぎだよ…。登場シーンで2m、隆くんを襲う前のシーンなんか4mくらいない!? フツーに怖い。

収録コミックス

失敗を恐れ続けた女の末路。「天人唐草」1979年

あらすじ

頑固で古風な父と貞淑な母を持つ岡村響子は、子供の頃から「慎みのある素晴らしい女性」になるように厳しくしつけられた。
特に、誇りに思う父の指示は響子にとって絶対だった。父の希望に応えようと精一杯務める響子だったが、父の言うことを聞けば聞くほど響子は、失敗を極度に恐れる消極的で自主性のない人間になっていった。


響子:主人公。他人の評価を異常に気にするあまり何もできない。
青柳:会社の1個上の先輩。響子とは対称的な積極的で色っぽいギャル。
新井:大卒のイケメンエリート。響子&青柳の憧れの的。
佐藤:中卒のチャラ男。ヘラヘラしているが能力は高い。

この世には響子がきっとたくさんいる。
山岸凉子ファンでない人も語ることが多い傑作トラウマ短編です。
娘を「慎み深い、でしゃばらない女性」にしたい古武士のような父親の言うことを真に受け続けた結果、人生を狂わされた響子の物語。子育て中の人や響子的な性格に育った人にはぜひ読んで欲しいです。
子供の育て方に正解なんてない。でも、響子の両親の子育ては多分あかん。
厳しいしつけ→響子ちょびっと失敗する→叱責→響子二度とやり直せずどんどん自信を失う…。

失敗は恥ずかしいことではないと、だれも教えてくれはしなかった。
失敗をおそれる彼女は、もう一度やりなおすということができない子どもになっていた。

高校生の響子が隣の席の男子との教科書の貸し借りに失敗して以来、「他人に無関心を装う」道を選んでしまうところ、すごく身に覚えがあって「あー!」ってなりました。同じようなことしてしまった人はたくさんいそう。

会社に勤めだした響子は、エリートで男らしい新井に憧れるが、「女としての慎ましさ」という大義名分に隠れて特に何もしない。一方、イケイケギャルの青柳さんはどんどん新井にアタックしていくのだった。
ある日、会社のおじさんたちに「お茶がちょっとぬるい」と言われ、さらに「叱責に敏感すぎてやりにくい。ギャルの方がマシ」という陰口を聞いてしまった響子は泣いて帰る。そこに偶然、職場のチャラ男・佐藤が通りかかる。

「あんたさあ、見栄っ張りだよなあ」
「み…見栄っ張り!? あ…あたしのどこが!!
あたし、見栄っ張りな女にはなるまいと心がけて来たはずです!
あなたみたいな人に何がわかるの!
ううん…誰も誰も、あたしのことなんかわかってくれない。
お…お茶ひとつ満足にいれられない女だって…
だけどあたしは一生懸命やってる! 一生懸命……!
だけどだけど、うまくやれない!
そこらへんのこんな小さな子どもにでも簡単にできることがあたしにはできない!
その苦しみがあなたなんかにわかってたまるもんですか!」

「だ…だからさ、僕がいったことはそれなんだよ
うまくやれないってことが、なんでそんなに大変なことなんだい?
『なんでもうまくやれるすばらしい女だ!』と、あんた言われたいんだよね。だれかに…。
『だれかにそう見てもらいたい』それが“見栄”なんだよ。
他人の目を…他人の評価を気にし過ぎるんだよ」

それはまさに彼女にとって大事な一瞬だった。

…しかし良いことを言ってくれたのが「チャラ男」だったため、効果は半減した!
この作品の何が切ないかって、響子は社会に出てから何度か、自分を変えるチャンスがあったんですよ。
他の山岸作品、例えば『ティンカー・ベル』『ブルー・ロージス』などの作品だったら、上みたいなことを「救済役の異性キャラ」に言われたヒロインはハッとなって、少しずつ変わっていくものでした。『天人唐草』にはそれがない。佐藤さんは響子の「救済キャラ」にはなれなかった。だって「響子の理想の男性像からかけ離れてた」から(本当)。
響子の趣味ではなかったようですが、佐藤さんはいい男です。佐藤さんとか調子麻呂とか井氷鹿とか、山岸作品の糸目男キャラ好きー。

上の方で「親の厳しいしつけによって人生を狂わされた」というようなことを書きましたが、大人になってからの響子は「慎ましさ」を大義名分に自分では何も働きかけず楽をしようというところもあったので、このへんはもう自己責任かなぁ。でもこういう考え方になっちゃったのは結局親のしつけのせいでは??

ある日、響子の父が急死する。場所は愛人宅。響子はショックを受ける。見る父の愛人は、派手で下品で色っぽいおばちゃん。父が響子に「こうあってはいけない」と言い続けた女性そのものだった。
「娘には勝手な理想像を押しつけ続けたくせに、自分が男として求めたのはその正反対の女だった」。これだけでもかなり強烈なオチなのに、さらに傷心の響子は帰り道で変質者に襲われ、発狂してしまいます。山岸先生はいつも容赦ないです。

「ぎえ──っ!」

あーあ。
最後の響子の「髪を金髪にする」ってのは、現代だとそうでもないけど、髪を染めるのがまだテレビの中の芸能人だけだった時代だということも考えて見ると響子がいかに向こうの世界に行っちゃったのかがわかりやすいです。向こうの世界に行っちゃった方が、響子には幸せだったのかな…。

タイトルの「天人唐草」は、イヌフグリ(犬の睾丸の意)という花の名前の別名。幼少時に「イヌフグリって何?」と聞いた響子が下ネタ嫌いの父に激怒されて以来その名前を封印し、「天人唐草」という綺麗な呼び名の方を使うようになったというエピソードから。鬱。

山岸先生によればこの作品が発表された当時、「あれはまるで私のことだ」と何人もの人に言われたらしく、「嘘〜! みんな思い当たるんですかァ」と思ったらしいです。いろんな人にそう思わせるからこの作品はすごいんですよ!

収録コミックス

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