山岸凉子漫画感想ブログ

山岸凉子先生の漫画作品の感想を書いていきます。普通にネタバレしてますのでご注意ください。

心理的虐待、ダメ、絶対。「赤い髪の少年」1973年

あらすじ

大学院生のエマニュエルは従兄の家に招かれた。そこの息子のステファヌは「にんじん」と呼ばれ、母親セブリヌから心理的虐待を受けていた。


「なぜ彼のことをにんじんと呼ぶのです? 髪が赤いからですか?」
「あの子の心ときたら髪よりすごい色なんですのよ」
↑そんなことはなかったぜ!

ジュール・ルナールの『にんじん』を元に描かれた話です。夫婦の不仲による苛立ちがなぜか、全て末っ子の「にんじん」にぶつけられる。よくあるタイプの、子供が人身御供になってるパターンの心理的虐待。こいつらに親の資格はねえ。他に兄姉が二人もいるのに、なぜか末っ子一人が標的になっているあたり、リアルです。

「エマニュエル、あまやかさないでください。
悲鳴をあげるよりだまっているほうが
同情をひくことを知ってるんですから、この子は」

(おい、にんじん、どうする。怒るか…。
いや、どうせむくれるんじゃないっていわれるさ)

「まあ知らんぷりして。いやな子だよほんと」
(チェッ。だまっていればだまっているでこういわれるんだ)

↑ケガをしたのはにんじんなのに、血を見て倒れたお兄さんばかり心配されててエマニュエルびっくりというシーン。もう母親セブリヌに対して「こんなことされて悲しい、ショック」を通りすぎて「ママがなんか言い出したけど、こういう時はどう行動するのが最適解かな…」レベルになってるもの。かわいそすぎる。楽しみにしてた映画に行かせないようにするシーンとか、つらい。まじでセブリヌ地獄に落ちろ。ちなみに原因でもある父親はぼんやりしていて「まあにんじんは素直じゃないから仕方ないよね〜」程度に思っています。よーし地獄に落ちろ。

しかしエマニュエルは、問題のあるのが夫婦で、にんじんは何も悪くないことをちゃんと見抜いてました。さすが良い大学に行ってる人は違うね!

「かわいそうに、にんじん」
「だれがかわいそうですって」
「……あなたがですよ」
「あたし!?」
「そう、かわいそうな人だ。あなたという人は」

大好きだったはずの猫を衝動的に殺してしまい、「だれもぼくを愛してなんかいない」と泣きじゃくるにんじんを暖かく受け止めるエマニュエル。いい人です。目指せ『籠の中の鳥』でいうところの人見さんのポジション。
自分の悲しみを自分より弱い者(猫)にぶつけて殺してしまった今のにんじんと、にんじんのママは同じなのだとエマニュエルは言う。

「悲しみや苦しみをうまく処理できない人っているんだよ。
きみはあのネコが好きだっただろ。だけどあのネコはきみをうらんじゃいないと思うよ。
きみの悲しみを知っていただろうから、きっときみを許してくれてるよ。
ママだってきみを憎んであんなことをするんじゃないんだ。
こうせざるをえないんだよ。悲しい人なんだよ」

「ママのこと、まだよく理解できないけど…
でも、おじさんがぼくを愛しててくれるんだったら……
それだけをたよりにぼく、やってみるよ」

でもエマニュエルはここの家の人じゃないからいつか帰っちゃうのよね…。一人で大丈夫かにんじん。おじさんとの文通をおすすめするよ。

にんじんの猫殺しについて。虐待本でよく見るのが、虐めとは強い者から弱い者に向かっていくので、上司→父親→母親→子供→ペットへと「降りて」いくことという話。これを見事に踏襲してますね。
そして、この世には「シリアルキラー(連続殺人鬼)」と呼ばれる人がたまに現れますが、彼らは幼少期に「親に虐待されていて、動物を殺害していた」という過去を持っている確率が高い。つまり、にんじんはあのまま放っておいたら、場合によってはやべーことになってたかも知れないですね。エマニュエルおじさんがいてくれて本当に良かった。小説の『にんじん』には、このエマニュエルおじさんという「救い」は出てこないらしい…。

収録コミックス

[山岸凉子漫画感想ブログ]は、Amazon.co.jpを宣伝しリンクすることによってサイトが紹介料を獲得できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイトプログラムである、Amazonアソシエイト・プログラムの参加者です。