山岸凉子漫画感想ブログ

山岸凉子先生の漫画作品の感想を書いていきます。普通にネタバレしてますのでご注意ください。

世界最後の日に仮面は要らない。「ストロベリー・ナイト・ナイト」1981年

あらすじ

目覚めると「私」はまた精神病院に入れられていた。
しかし外に出ると、そこはいつもとはまったく違った世界だった。
その日、街の全ての人々は醜い自分をさらけ出していた。「私」はわけもわからずあたりを歩くが…。


みんなとりつくろって生きてた。
山岸作品の中で特に好きな話のうちのひとつ。『鬼子母神』の次くらいに好きです。コンプレックスがあって問題は抱えてるけどとんがっちゃってるヒロインが好きなのかも。
山岸作品によく出てくる「やたらモノローグの饒舌な主人公」である「私」の一人称で話は続きます。

「私」が目を覚ますと、そこは混乱の中だった。
街には人がゴロゴロ倒れている。薄汚れた子供達がお菓子を抱えている。
金が何の役にも立たなくなったと言うおじさん。泣きじゃくる男。
薬を飲んで布団で寝ている人。ひたすら食べ物を食べ続ける男…。

「私」の頭の中にはいろいろなことが巡る。
偽善者の麻美の説教。飲み会で男に言われた言葉。人前で不自然にお芝居していた自分。
「人格という莫大なお金とひきかえにここ(病院)に入ってしまった」というから、パーソナリティー障害か何かなのかな?

街は狂気と暴力に溢れている。「インテリ」と呼ばれ、いつも他人を裁いていたあの人が、車を暴走させ、人をひき殺している。
でもそんな人達を見ていると、「私」の心は逆に安定していくのでした。

なーんだ、あたしと同じなのね。
裁く人と裁かれる人は同じだったのね。
ホッとしちゃったわ。今なら行きかう人の目が見つめられる。
あたしったらいつも下を向いていたのよ。
卑屈にならなくてもよかったのね。
みんな、あたしと同じなんですもの。

「私」は今までの「顔」の仮面をはずします(比喩でなく、本当に仮面)。
きつい厚化粧の下からさっぱりした「私」の素顔が現れるシーンが印象的。

ああ! 深呼吸!!

そこに、ボロボロの格好をした警官が話しかけてきます。

「あなたはどこへ行くのかね。最後を共にしたい人はいないのかね?」
「あたし達はべつに、どこへ行く必要もないじゃない」
「ああ…。どちらにしろもう間もなくだから…
間に合わなかったのはあなただけじゃないからね

終末の日、死を目の当たりにした街の全ての人間の仮面が剥がれたことで、必要以上に仮面を被ろうとしていた「私」の精神が自由になったのも束の間、全ての終わりは目前だった…。
という話だと思ってるのですが、合ってるのでしょうか…。恐らく病院でずっと寝てた「私」は事情を何も知らないまま。
結局「私」は一瞬でも素顔に戻れて幸せだったのかなぁ。こういうかたちで主人公の精神が救われる(?)のは珍しいです。「私」の全快ぶりが切ない。

あたし自分の部屋へ帰らなくちゃ。
解るのよ、あたし自分がすっかり良くなったって。
明日はあたしにも明るい日が待っているのかしら。

…と言う「私」の頭上には核ミサイル(?)が迫っていた。合掌。

多分もうお店の人が逃げちゃってて店の品物盗み放題という状況で、子供たちがお菓子やおもちゃを盗みまくるシーンがあるのですが、そこで子供たちが求めるおもちゃが、当時流行ってたであろう「ルービックキューブ」。最後の時にそんな時間と根気の要るもの欲しい!?

収録コミックス

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